一緒に走る仲間がいるって、「やっぱ良いもんやなぁ~」と改めて実感した。
3年程前から所属している地元のランニングクラブの駅伝大会があった。
ランニングクラブの駅伝大会
大会と言っても、いつもの練習会を駅伝形式にして楽しむというもの。
1チーム5人で、5チームが参加。
1人1周2.3㎞程の公園の外周を走るコース。
「楽しく走るが」モットーのクラブなので、競争がメインではなく、1人1人が自分の力を発揮しつつ楽しむことが大切なイベント。
出走メンバーは、小学生~70歳代後半の方もおられ、なんとも幅広い。
いつもの練習会とは一味違い、チームに迷惑をかけないようにと自分の持てる力を出すことに専念し、皆必死に頑張っていた。
そんな姿に刺激をもらえるし、一緒に走らせてもらえる仲間がいることに、ほんま感謝!!
「何で走り続けてるのか?」ふと考える時がある
10年以上前から走ることを習慣にしている。
月間20日以上は、走っている。
走りたくない日や、走ることが「しんどい」「めんどくさい」と感じることはいくらでもある。
なので時折、「なんで、走ってるんやろ…?」と思うことがある。
正直、自分の中でそれに対する明確な答えは分からない。
村上春樹氏が書いた「走ることについて語るとき僕の語ること」という本を最近、読んだ。
日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。
村上春樹著「走ることについて語るとき僕の語ること」
自分の中でも同じような感覚のところがある。
やっぱ作家さんは、「上手く言い表すな」と感じる。
走ることの自分なりの意味
普段は1人で走ることも多いし、嫌いではない。
「色々考える時間」になるし、「真っ白になれる時間」でもあるので、生活の中で大事な時間。
ランニングクラブの駅伝で実感したことだが、仲間と手弁当でイベントを企画し、楽しむのが「こんなに心が満たされるのか!」と思った。
何か、この小さな駅伝大会を通して走ることの自分なりの意味を1つ見つけたような気がした。
一緒に走ってくれる仲間がいてくれることが、こんなにも大きな意味を持っていたとは。
今更ですが…。
普段、仲間とマラニックに行ったり、朝ランしたりしてるけど、改めて仲間がいることに感謝!
「仲間と走る時間」、「1人で走る時間」をこれからも大切にしていこうと思った1日でした。
最後までお読みいただきありがとうございました!
この記事がお役に立てれば嬉しいです。
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